Lawrence VenutiのThe Translator's Invisibilityについて

 授業でLwarence VenutiのThe Translator’s Invisibilityの一部を担当して、Venutiの”Foreignization”,”Domestication”, “翻訳者のInvisibility”に関心を持った。      

 しかし、Foreignization, Domesticationの概念は朧ながら分かったものの、どのような翻訳の仕方が、Foreignizationなのか、Domesticationなのか十分に理解できなかった。このレポートのⅠ部でVenutiの理論を再度整理してみた。

 Ⅱ部では、授業で扱った川端康成の「雪国」のEdward G. Seidenstickerの英語訳について、Foreignizationを意識した翻訳か、Domesticationを意識した翻訳かを考えてみた。これは、決してSeidenstickerの翻訳を批評したり、誤りを見つけるとかの大それたものではなく、原文を読みながら、日本的なもの、日本的な表現、川端康成の美の表現に出くわすと、これがどのように英語に訳されているかをみて、私のForeignization, Domesticationの理解の一助にしたいと考えた。

 雪国の原文は新潮社文庫版を、英文はCharles E. Tuttle Company発行の”SNOW COUNTRY”を使用した。

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